こんにちは、ララビーです。
動物ってかわいいですよね♪
もちろん動物が殺されて良い思いをする人はあまりいないはず。
オーストラリアは動物愛護の国と言われており、動物を大切にしています。
なのでもちろん動物は一切殺さない・・・・・いや、それだけではないんです!
ということで、今回は私がオーストラリアに来てから生き物の命に対する考え方について深く考えさせられた時のことをお話していこうと思います。
僕も殺されて食べられちゃうのー?
君は食べられないと思う・・・。
動物がかわいそうだから殺さないベジタリアン・ビーガン
まずは割と一般的に良く知られているベジタリアンやビーガンの話からしていきますね。
冒頭でもお話したように、オーストラリアは動物愛護の国と言われているだけあり、動物を大切にする人が多くいます。
そのため、『かわいそうだから動物を殺さない』というベジタリアンやビーガンの人も比較的多くいるんです。
そのため、レストランやスーパーにも当たり前のようにビーガン用の食品が売っています。
いや、そもそもベジタリアンやビーガンって何よ?
という方は別の記事で説明しているものがあるので読んでいただければと思います。
動物がかわいそうだから殺さない
まぁ、わかりますよね。
しかし、本題は次です!
それでは次の章で私が深く考えさせられたエピソードについてお話していきます。
動物がかわいそうだから殺すという考え
皆さん、不治の病にかかっている動物や大きな怪我をしてしまった動物を看病するとしたらどうします?
「最期まで精いっぱい看病しよう。」
こんな考えの人が多いのではないでしょうか?
しかしオーストラリアでは、動物がかわいそうだからこそ殺すという考え方の人が割と多いんです。
私の彼に割合を聞いたら半々くらい?と言っていました。
(※彼の感覚的な意見なので、もちろん違う可能性もあります。)
実際に私が、動物がかわいそうだからこそ殺すという考え方に触れたエピソードを紹介していきます。
殺されたペット
彼家族は以前犬を飼っていました。
もちろん全員可愛がっていたのは言うまでもありません。
しかし、ある時そのペットが病気になってしまいます。
病名は分からないのですが、骨の関節が痛くて何をするにも痛みがあるためあまり動けなくなってしまったようです。
そのため「かわいそうだから殺してあげよう。」という決断に至り、安楽死させられることになりました。
殺された野ウサギ
オーストラリアには野ウサギが多くいます。
そして、野生のウサギの中で『Myxomatosis』という病気が流行っているのですが、これれにより目が見えなくなってしまうんです。
ある時、その病気にかかった子ウサギに出くわします。
このウサギの目を見ると少し変なのが分かると思います。これがその病気にかかっている証拠。
この子ウサギに出会った夜、この子は殺したという話を聞きました。
理由は「生きていても自分で餌も取れないで餓死したり、苦しい目に合うくらいならかわいそうだから殺してあげた方が良い」というもの。
動物を守るために殺すということ
また、かわいそう、という理由とは少し違いますが同じく命にかかわる話、オーストラリアの野生動物の話をしようと思います。
キツネやウサギ、ネコはかわいい動物ですよね。
しかし、これらの動物はオーストラリアでは外来種でありPest(害獣)として扱われています。(もちろんペットで猫を飼っている人もいますが。)
これらの動物はオーストラリアの現地の動物殺し、植物を荒らすため、現地の動植物を絶滅危機へ追い詰めていきます。
そのため、できるだけ駆除したい(殺したい)動物なんです。
狐駆除のために狐を殺したハンターに助成金を出したり、猫を大量駆除したりと、どうにかしてこれらの動物を減らそうと試みみたりもしていました。
そうでないとワラビーなど、他の現地の動物たちの生態系が崩れてしまうからです。
僕殺されたくないよ・・・。
つまり、現地の動物を守るために他の動物を殺す
そんな考え方もこの国に来て学びました。
動物の死に対して私が感じた事と日本文化
動物が殺されたエピソードについて
皆さん、動物の命に対する様々な考えに触れてどう思いましたか?
正直に「そんな考え方もあるのか」と思いませんか?
言われてみれば「まぁそういう考えもあるよね」とは思うのですが、実際にそういう場面に出くわしたときに私は結構衝撃を受けました。
そういう考えもあると頭ではわかっていたとは思いますが、自分が育ってきた日本の文化・環境の中ではそれは当たり前の事ではなかったです。
命=殺してはいけない、としか考えておらず、私の中では死なないことが大事というのが根底にあったと思います。
それが間違っていたと感じたわけではありません。
それが当たり前の考えではなかったという事に衝撃を受けたのです。
安楽死は良く知られているような話かもしれません。
しかし実際にペットの動物を安楽死をさせている人は少なくとも私の周りにはいませんでした。
私が過去に勝っていたペットも病気になり、最後は苦しそうでした。
その時もちろん「かわいそうに・・・。」とは思いましたが、殺してあげよう、という考えには全く至りませんでした。
最期の方は起き上がるのも辛そうだったのですが、私が帰ってくると無理にでも体を起こしてしっぽを揺らし、懸命にこちらに向かってくるのです。
私はそれに答えて頭をなでたり、看病したり、優しく接する事だけしかできませんでしたが、少しでも安らかな最期になれるように、という事だけを考えていました。
『Myxomatosis』という病気にかかったウサギの話の時もそうです。
少しもかわいそうだから殺してあげよう、という考えにはなりませんでした。
病気になってかわいそうだけど、「頑張って生きるんだよ。」という風に思っていました。
最悪、他の動物に殺された、事故に合って死んでしまったとしてもそれが運命ですし、自然界の掟でもあります。
それを人の手でコントロールして良いものなのか?
私は正直どれが正解か答えが出せません。
確かに、辛い思いをしたまま動物生かしておくのはかわいそう、という気持ちもわかるんです。とてもわかるからこそ、答えが出せません。
どんな考え方でも動物がかわいそう、守りたい、という気持ちには変わりはないのでどれも正解のような気がします。
外来種の動物の駆除の件もそうです。もともとは人間が持ち込んできたせいで増えてしまった外来種なのですから、人の手でどうにかしないといけないということにも納得できます。
そうでないと他の動物が絶滅してしまうのですから。
当たり前のことですが、命について考えるのは難しいですね。
日本との比較と食文化について
今までの話で、オーストラリアと日本の考え方の違いがなんとなく分かっていただけたでしょうか?
ちょっと比較するためにこんな表を作ってみました⇩
ベジタリアン・ビーガン | ペットなどの動物の安楽死 | |
---|---|---|
日本 | × | × |
オーストラリア | 〇 | 〇 |
日本ではベジタリアンやビーガンってほとんどいないですよね?
そして安楽死を選択する人もあまりいない。
なんだか考え方が真逆な感じがします。
ちなみに、日本人は動物を食べるからみんな残酷なのか?
個人的にそれは違うのかな?と思います。
例えば日本人は「いただきます」と言ってから食べる食べ物に対して感謝の気持ちを持っていたり、魚や肉の骨の隅々まで使って残さず料理する文化はその食べ物を粗末にしない=食べ物に対する感謝の現れ、だとも思います。
食べるけど、しっかり感謝の気持ちを表す。
これが日本文化なのかな?と思っています。
どちらも命を大切に扱いたいという気持ちからの行動でも、こうも違うんだなぁと・・・なんか興味深くないですか?
まとめ
最期まで読んでくださり、ありがとうございました!
今回は私がオーストラリアで経験した命の考え方の違いについてお話してみました。
動物がかわいそう=殺さない
動物がかわいそう=殺す
動物を守りたい=他の動物を殺す
動物に感謝する=隅々まで食べる
どれも、命を大切にしての行動なのかな、と思います。
このことについては私の中ではどれが正しいのか答えを出すことが出来ません。
難しいですが、いろいろな価値観を知ることって大事なことだとは思います。
知識も深まるし世界が広がって自分の成長になりました。
これを読んでくださった皆さんにも新しい価値観が共有できていたら嬉しいです。
それでは、今日はこの辺で!
さよならビー🦘
コメントはここから⇩
コメント一覧 (2件)
オーストラリアではウサギもキツネも駆除対象みたいですね。
数百億のウサギ、数万羽のエミュー、数百万のヒキガエルとオーストラリアでは常に動物と戦ってきたので独特の死生観が熟成されたのかもしれませんね。
コメントありがとうございます♪
そうですね、増えすぎると別の動物達に被害があるので常に戦っていますよね。確かに、そういうところも少なからず影響されているんでしょうね。